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かなえ

Author:かなえ


かなえ@FC2です。
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2006年からFC東京をゴール裏で観戦している都下の「某六大学H」の3年生です。
FC東京以外にもbjリーグ・埼玉ブロンコスを観たり、法政大学体育会を観たり。
色々な試合の観戦日記を中心にいろいろな話題をピックアップします。

暇な時にゆっくりご覧になって下さい。

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    226:東京五輪に関する雑感。

    2009/02/04 (Wed) 01:30
    今年は2009年、10月には2016年のオリンピック開催都市が決まります。
    東京も立候補を行い、今月の11日には開催計画書を提出して今後の審議の
    舞台はIOCに移ることになります。一方で、財政緊縮の時代に数千億円単位
    の公共事業費が必要となる五輪の開催が本当に必要とされているのかという
    声も大いにあります。

    東京はインフラ、治安、都市のキャパシティ、計画性などの面では現在立候補
    をしている各都市の中で最高ランクの評価を受けていますが、住民の意識を
    見てみると立候補都市の中では最低となっています。1964年のように、東京で
    五輪を行うことで都市が整備されるという事は少ないわけです。
    現在の東京で、なぜ巨額の投資を行ってまで五輪を行う必要があるのだろうか
    東京で五輪を行うという事はどのような意味があるのだろうかということを少し
    考えてみました。

    一応ですが、これは暇な時間を使って考えたことです。管理人の頭の中を覗く
    ぐらいのつもりで考えてください。

    続く。 続き。

    ここで一度1964年の東京オリンピックが人々にとってどのような記憶であった
    のかを考えてみたいと思います。これが2016年を考える上でヒントになると僕
    は思うからです。

    1964年がどのような時代背景を持っていたかというと、まさしく高度成長期の
    真っ只中でした。東京でのオリンピック開催が決定した1959年は、1930年代
    には準一流国程度の国力を持っていた日本でしたが、戦争によってすべてが
    灰燼に帰した後に、相対的な意味で戦前と同じぐらいの国力をつけることが
    できた時代がこの時代だったと考えられると思います。
    その時代の東京オリンピックとは何か。神話だったと僕は考えます。力道山が
    テレビの中で大暴れし、長嶋と王が巨人に入団し、「巨人・大鵬・目玉焼き」と
    いう言葉が堂々と通じた時代でした。今日より明日は絶対に良くなっている。
    国民所得は上昇し続ける。そんな神話の中に東京オリンピックもありました。
    国民みんなでオリンピックを応援する、そうすれば結果が…って形で、実際に
    「東洋の魔女」なんかが生まれたりしています。みんながテレビで流れている
    日本選手の勇姿に心を震わせ、日本国民全員の記憶となっていたわけです。
    これは日本だけには限らないと僕は思います。1988年のソウル大会は韓国の
    国民全員の心に残っていると思います。

    さて、対外的に目を向けてみると、オリンピックというのは何らかのメッセージ
    を持っているとも思えます。まぁ、これを考えるのは開催決定時点での状況を
    見る必要もあります。古い時代から見てみれば、1936年のベルリン大会では
    第一次世界大戦の終結というメッセージがあったと僕は思います。実際には
    ナチの宣伝の場になってしまいましたが、開催決定時点は1931年でナチが
    台頭する2年前です。徐々に回復して国際秩序の中に再び組み込まれていく
    ドイツを表したかったのでしょう。1960年のローマ大会と1964年の東京大会
    には第2次世界大戦後の世界の復興をみせたのだと僕は思います。
    その後1974年のミュンヘン大会はドイツの復興を、1980年のモスクワ大会と
    1984年のロサンゼルス大会では冷戦のデタントの時代を示したのでしょう。
    最も、モスクワ大会までにはソ連のアフガン侵攻ですべて流れてしまいました
    けど。1988年のソウル大会は植民地支配を受けた場所で大きく開催された
    大会でした。1992年バルセロナは公用語としてカタルーニャ語が用いられた
    事でもわかるように、フランコ独裁体制からの完全な脱却だと僕は思います。
    これはスペイン一国の問題ではなく、戦後の欧州に残ったナチ的独裁政権が
    スペインだったということを思えば、第2次世界大戦の清算という意味合いも
    あったと僕は思います。そして、何よりも北京。急速に近代化が進み国際的に
    注目を受ける中国を舞台にした大会でした。
    ・・・まー全部後付けですけどね。。

    で、2016年の東京です。
    東京オリンピックの目指しているところは何か。招致委員会のホームページを
    見てみると、そのメッセージは主に“1964年よ、再び”であることがわかります。
    近年にはかつてのような国民全員に受け入れられるような「神話」は存在して
    いません。インターネットが進展したりするなどでそれまでマイナーとされていた
    ものでも、十分注目を受けるようになってしまいました。典型的なものは「萌え」
    でしょう。これがいいことかどうかはわかりませんが。僕の愛するFC東京も同じ
    でしょう。かつての日本人なら「巨人・大鵬・目玉焼き」なわけで、埼玉県人の僕
    がFC東京サポって言っても通じるわけありません。
    この事を価値観の多様化と言ってしまえば簡単ですが、これによってかつては
    国民全員が持っていたような統一的な価値観が失われてきているということも
    事実です。これは、「自分は日本人である」という国民に統一的な価値観の形成
    に矛盾が生じているという事でもあります。
    一体感を欠いた国民を再び一体化させるにはどうするべきか。最も簡単な手法
    は一体感を欠かせた大元を取り去ること、つまりインターネットの禁止なんかが
    有効な手段となりえるでしょう。但し、これは現実的ではないでしょう。簡単にと
    いうとかつて強力な力を持っていた一体感の象徴や源泉を再び作り出すこと、
    つまり“1964年よ、再び”となるわけです。
    僕はこれを無茶な話とは思っていないわけで、たとえば2002年のW杯日韓大会
    や2006年のWBC優勝などの大きなスポーツイベントの時に、一時的にとはいえ
    国民的な一体感は生じていると感じています。香山リカが“プチ・ナショナリズム”
    と言っているあれですね。あんなものに頼らないと国民的価値観を形成できない
    のかとも思いますが、国民全員が意識を一つにするという事は必要とされる時も
    来ると思います。“その時”がいい時だとは僕は思えませんが。。
    “国民神話をもう一度”が2016年東京五輪の本質だと僕は思います。基本的な
    構図はヒールの外人レスラーに力道山が苦しめられながらも正義の鉄拳を下す
    というのと何一つかわらないんですよ。

    ただ、これだけでは世界に対する訴求力が弱いでしょう。

    一応前提として話しておきますが、オリンピックというものは庶民のための大会で
    はありません。近代オリンピックについてアマチュア主義がなぜ採られたかという
    と、労働者階級を排除するためです。スポーツという語は日本語に訳すときに体育
    という言葉になりましたが、これは誤訳で今の日本語の語感から言うと娯楽程度
    にとらえるのが正解です。労働に勤しまなくても、娯楽をやってなんとかなるのは
    資本家の子弟たちであり、労働者が“体育”に勤しむためにはプロとなってそれで
    お金を稼がないといけません。競技人口がどう考えても少ない馬術、射撃、ヨット、
    近代五種なんかが競技種目となっているのは高級軍人としての力を試す競技だ
    という理由があるそうです。今ではアマチュア主義なんて事は差別につながるので
    言いませんが、思想的背景としてそういうものがあるとは覚えておいて下さい。

    さて、ここまでの前提の上で話を続けます。
    「日本で国民神話を作りたい、だから五輪を」というのじゃどの国もついて来ません。
    そこで考えたのが『環境』というキーワードなのでしょう。近年、特に先進国の間
    で環境ということについて深く議論が行われています。環境にいい製品を、環境
    にいいシステムをと世界中の頭脳が集まっていろいろと議論を重ねています。
    特にオリンピックを作り上げてきた欧州の富裕層はこのような問題に関心を強く
    持っています。また、日本が環境技術においては先進的な技術を持っていると
    いう事も『環境』というキーワードに現実味を帯びせる力があります。
    また、2012年のロンドン大会も環境をテーマにしていて、その点ではロンドンから
    東京とテーマを統一できる利点もあると思います。1964年の時も単に東京大会を
    行ったというだけではなく、その前に全く同じ戦後復興というテーマでローマ大会
    を実施しています。このように2大会連続で同じテーマを扱うことでIOCが環境に
    対して本気で取り組んでいますという姿勢を打ち出すということもあるのだと僕は
    思います。

    さて、このように考えた上で東京でオリンピックを開催する価値はあるのか再考
    をしたいと思います。環境というテーマでオリンピックを開くのならば、何も東京
    である必要はありません。ブラジルでエタノール燃料で動く自動車を使って大会
    運営をしたほうがよっぽど環境という面のアピールにはなると思います。また、
    このメッセージが日本人である僕らに向けられたものかということも微妙です。
    僕らは東京オリンピックを“神話”という側面から見るべきと思います。
    その中で、僕らは本当に“神話”を必要としているのでしょうか。また、東京に
    オリンピックが来たところで“神話”を作ることができるのでしょうか。2008年に
    行われたオリンピックで僕らは2002年のW杯や2006年のWBCのような熱狂を
    作ることができたかと言えば難しかったと思います。オリンピックは北京の時
    で28競技302種目ありました。サッカー1種目のW杯や野球のみのWBCとは
    違います。結局「東洋の魔女」のような神話が生まれる確率は低いと言える
    のだと思います。

    考えてみれば、オリンピックにヒーローがいない現象はここ最近の事なのかも
    しれません。バルセロナでは岩崎恭子が中学生で金メダルを取りました。
    アトランタでは田村亮子が泣いていました。シドニーでは高橋尚子が金メダル
    を取って、その後Qちゃんがどーのと散々騒いでいました。
    アテネのヒーローは誰でしょうか。北島かな。でも、室伏でも色々とあったし
    山本先生もすごかったし、ヒーローがひとりじゃないんですよね。。これは
    北京も同じで北島もいたし、ソフトボールの上野投手の扱いも英雄だったし、
    “ニートの星・太田”なんて選手への敬意をまるで感じないネーミングもあった
    と思うわけですよ。
    要するに言いたいことはここ6年くらいで“オリンピックで国民神話を作ることは
    難しくなった”ということ。トリノの荒川静香みたいに日本人選手のなかで唯一
    メダルを獲得し、しかも金メダルみたいな事でもない限り難しいかなと思うのです。

    東京でオリンピックをする意味ってどこにあるのか、実にあいまいだと思います。
    国民神話という意味付けも難しい、環境という意味付けも微妙である。それに
    対して数千億円も投資できるのか。本当は都知事の頭の中だけではなくて、
    もっとしっかり考えるべきことなんだと思います。

      「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」

    昔の人はいいこと言います。
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